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「一杯のお茶で、自分を超えて行く」ということは?

今日は、今年最初の茶道の稽古。今日の稽古は、言葉にならないほど深く、広く、しかし小さく、そしてものすごい高揚感を味わえた貴重な時間になりました。

実は、今朝はあまり眠れず、そうそうに目が覚めました。
ひとつ、気になっていることがあったからです。素直にいえば、心配ごとです。

「あぁ、心配だ。大丈夫だろうか・・。自分に出来るだろうか。」

そう思いつつも、「現状は、把握した。さて、今からどうする?」と問いかけながら、今日は稽古に出かけました。

稽古仲間が炭手前をした後、私がお濃茶の手前に。
そうしたら、あら!やっちゃった!
粉に対して、明らかに湯が少なすぎます。

私の茶道歴史上、最大のピンチでした。笑

茶筅で濃茶に触れ始めたのはいいですが、今まで経験したことがない少量の湯で、本当にこれで濃茶が練れるかどうか、一瞬、心配な心が湧きあがりました。

今までだったら、思考停止してプチパニックになり、自分都合に混ぜてダマを作ってしまうか、または諦めて手を止めて、湯を足すかのどちらか。
どちらにせよ、「私には無理だから」という気持ちが表れています。

でも、今日は違いました。
一瞬よぎった不安を脇に置き、茶碗の中と真剣勝負。

「ダマにはさせない。冷静になれ。まだやれることはある。」
そんな声が、本当に聴こえて来たんです。

丁寧に粉と湯の動きをみて、お茶に負荷をかけないように茶筅を動かして一体化させていく作業に、全神経を集中させました。

Photo

こんなに本気で、茶碗の中の粉と湯が一体となるようにと観察し、濃茶を練ったのは初めてでした。後から塾長に、「あの湯量はチャレンジでしたね。あれ以上少なければ確実にダマになる、ギリギリの湯でしたね。」と言われたほどです。

2回目の湯を注いだ後、照りが出てダマになっていない濃茶が仕上がった時は、それはもう、なんとも言えない歓びが、内側から湧きあがってきました。

ふわ~~~。言葉にならない感覚です。
まさに、今日のお軸「歓無極」

それはたぶん、自分の中の不安に、打ち勝った感覚。かな。
「私はやれる。」という、静かで小さな感覚。
腹が据わった感覚。
自分のことを、あきらめないという感覚。

きっと、今朝感じていた自分の中の不安と重なったのだと思います。
たった一杯の濃茶を点てる中で、不安でグラつく自分に対し、それを乗り越えられるという自信が芽生えたのでしょう。

行きと帰りの車中の自分のあり方が全く変わり。
「さて、どうする?」という朝の問いかけに対する返事も、大幅に違う。

「今朝の私は、それなりに揺らいでいたんだな。」と素直に笑ってしまいました。

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ここに書いたのは、今日の気づきのたった一こま。この続きもたくさんあるけど、書き切れないから、おしまいです。

真剣にお茶を淹れるという行為を前にすると、そこに引き込まれていく感覚があります。それは自分が淹れている時もですし、人が淹れてくれるのを見ている時もです。

それは、言葉や映像にならないし、ネットでは伝わらない、その場の「本気の空気」だと思います。その場にいる人にしか伝わらないもの。

それを共有することがやっぱり極上なんだなと、改めて感じました。

Photo_2

やっぱり、お茶会が一番なんだ、よ。
本気の空気が作りだす世界、それが一番なんだよ。
うまい、まずいじゃないんだよ。

特に今回は、若手後継者の3人が亭主をします。
心地よい緊張感は、本気度を味わうには最高ですね。
よろしければ、ぜひに。

●詳細は、こちらにも。

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