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茶の稽古「茶筅として、どう関わるか?」

先日、久しぶりに濃い茶を点てた時、ふと考えた事。

茶碗に入っている、濃い茶と湯を前に、
「茶筅として、どう関わって行くか?」

粉と湯がスムーズに混ざり合うために、
茶筅として出来ることは?

臆することなく、強引になることもなく。
ただただ、茶筅として、どう関わって行くか?

そこに、不思議と「私」の存在はありませんでした。
  私=茶筅

結果は、ものすごく楽しかった!
自服したお茶も、美味しい。

茶筅には、粉の抵抗が全くなく、とにかく自然体。
練っている時の茶の変化もおもしろく。
気持ちよかった~。

よく「自分を殺して、道具になる」というような話を聴くけれど、私には理解不能でした。
「自分を殺す」という表現は、あまり好きではないのですが、言葉は例え表現の一つなので、そこにはこだわらずに進みます。

この極上の感覚を、亭主と共有する時に話をしたことは、

●湯も粉も「人」と同じ。私(茶筅)は、湯と粉を一体化させるために存在するだけ。
どうすればスムーズに、“粉びと”と、“湯びと”が融合していくか?を考えたら、私の意思で強引に粉と湯を混ぜようとする必要もなく、本人たちが一番楽に混ざれる動きを作ってあげればいいだけだと気付いた。

●また、そこで無駄にビクビクする必要もなく、また、私(茶筅)自身も“一番動きやすいところ”から力を添えて行けばいいのだと学んだ。

『一番動きやすいところから、無駄な力を入れずに、添えて行く』

結局、お茶を飲む瞬間に茶筅はそこに存在しておらず、茶と湯がいかに自然体で融合しているか?を味わうのだから・・。

私自身の仕事の関わり方に対しても、これは大きな気付きでした。とても身体が楽になった。無理する必要がないですしね。

「道具になりきるとは、役割に徹する」ということ、かもなぁ。
そこに、「私」が存在していなくても、結果はやはり、私も関わって「一味」となっている。あぁ、うまく説明が出来ないけれど、やっぱり自然体が一番ですね。

今日もお茶を一服。


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コメント

ぼくもほぼ毎日薄茶を点てて飲んでるのでなんとなくわかるような気がします。(濃茶は高い&ムズいので手が出ませんが・・)

ぼくの場合は茶筅が自分の手になったような感じになるので、ちょっと違うかもしれませんが。
ぼくのほうが傲慢なのかもしれませんね。

投稿: みふみ | 2013.09.16 23:41

◇みふみさん
毎日薄茶を飲まれているんですね。かっこいい。^v^
言語表現と実際の身体感覚は、本人の中でしか分からないことなので、本当は違っているのか同じなのかすら、分からないかもしれませんね。自分の中で、これかもっと思えるものが出来たら、お茶点てるのがすごく楽しくなりました。

投稿: ゆう | 2013.09.17 12:25

毎日薄茶ですか、私は毎日煎茶ですが、最近ロクロ体験をする機会がありまして、抹茶茶碗を引きました。せっかく茶碗があるので今抹茶の練習中です。今回のブログを参考にして点ててみます。

投稿: いと | 2013.09.17 17:31

◆いとさん
こんにちは。お茶碗を自分で作ると、愛着が湧くんでしょうね!そちらは、抹茶も文化圏ですしねぇ。私のは全然役に立ちませんけど、感じるままに書いています。

投稿: ゆう | 2013.09.17 20:51

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